しにたい


May 19, 2015
「死にたい」
なぜかそう思っている人が多いのかどうかは定かではないが、そのように口に出してしまう人は筆者の周りに大勢いる。

 なぜ死にたいのか?という理由はさまざまあるだろうが、少なくとも現代社会にというのはそのような感情を抱かせる何かを持っているのだろう。
ちなみに、ググったら
死にたい2
これが
つぶやいたら
死にたい1
 これが
やほおだと
死にたい3

こんなのが出てくる。

ちょっと怖い。


なぜ現代人はここまで死にたいと思うのか?ということを考えてみた。


病気や借金から逃れるという原因を除くと、承認の欲求が満たされていないということが問題ではないのか?というひとつの結論に行き着いた。
誰かと比較される社会だからこそ、誰かの上に立ったりすると得意げな様子を伺うことができる人は多い。
社会的承認の欲求は第一次欲求の食う寝る子孫を残すなど、生きるという行為に対して直接結びつくものとは異なり、どのように生きるのか?という内容に対する欲求が分類される。
日本では、このどう生きるか?ということに対して非常に執着が強い国だと私は考える。
その上、いい生き方のテンプレートのようなものが存在し、それに大きく遅れたものを見下したりすることによって満足感を得るという人も大勢いるのだ。

いい大学に行き、いい会社に就職する。
このいいとは、ヒエラルキの頂点に位置することであり、その内容などはあまり相手にされることは無い。
また、よほどのことが無い限りこのピラミッドは崩れることを知らずに存在を続けることが起こる。

つまり、死にたいと呟く人間というのは社会的承認を受けられない立場にいるということだ。



では、死にたいという者がそのようなことを言わなくなるもしくはそのように思うことが無くなるにはどうすればいいのであろうか?

それは比較的簡単で、他人と比べたことに対しての承認ばかりではなく、ある地点に到達したことに対しての承認を増やすことだ。

小さい頃はがハイハイした、立った、喋ったというように誰とも比べずにできるようになったことに対して褒めたりしたが、小学校に上がると周りの子よりもいい成績や優秀なことがあるということが評価の対象だった。
もちろん人には得手不得手があるし、やることの多くがうまくいかないという人もいる。
それに対して叱責ばかりすれば負のスパイラルに陥り死にたいなどど発することも多くなるだろう。
しかし、比べることだけでなくある地点に達したことを認めるということで、自分のしたことが良い方行に向かっているという事を確認できるのでもっとを追い求めるような人が出て、死にたいと思うことは少なくとも前者よりは少なくなるに違いない。



しにたい
そう思うのは、自分を認めてくれる人がいないという単純な理由なのかもしれない。


 

よろしければポチッと1クリックお願いします。
戦国IXA・攻略ブログ

    このエントリーをはてなブックマークに追加
    julyausspopotamous at 01:58│Comments(0)TrackBack(0)└真面目系 

    トラックバックURL

    コメントする

    名前
    URL
     
      絵文字
     
     



    Top▲